宗教心理学研究会第19回研究会

宗教心理学研究会主催の第19回研究会が,下記日程およびテーマで行われました。

日 程:2021年6月26日(土)
時 間:14:00~17:00
形 式:Zoomによるオンライン開催
研究報告:「臓器移植医療と宗教心理学」
報告者:石井賀洋子(看護師・元愛知県臓器移植コーディネーター/(株)あずきプランニング)

発表要旨:
「臓器移植とは,重い病気や事故などにより臓器の機能が低下した人に,他者の健康な臓器と取り替えて機能を回復させる医療とされている。提供の意思を示す第三者の存在がなければ成り立たない医療でもある。移植に関わる人びとが抱える心理的葛藤に注目し,宗教がどのようにかかわっているか,考える機会としたい。」

ご自身看護師であられ,臓器移植コーディネーターとして働いていたご経験の中から貴重なお話を伺う機会となりました。

まず,公益社団法人「日本臓器移植ネットワーク」(JOT)のWebページに掲載されている情報の中から,臓器移植の概要,臓器移植の歴史,法整備と臓器移植事例数の推移,臓器提供の流れ(脳死判定を含む),などの紹介がありました。その後,コーディネーターとして活動された中での様々な想い,主として「葛藤」の部分をお話してくださいました。

恥ずかしながら初めてお聞きするお話ばかりで,大変勉強になりました。たとえば,脳死が人の死として認められている欧米その他の国々とは異なり,日本では,臓器移植を前提とする場合に限って,脳死を人の死と認める,という点です。日本では,臓器移植についての家族の承諾後に,はじめて脳死判定が行われる(脳死判定に進む段階ではすでに臓器移植が前提となっている)そうです。その意味では(治療を中断して脳死判定に進むことを最終的に承諾=決定するのは家族になるため),脳死による「死」を家族が決めていくことになってしまう,ということになるそうです。

ドナー側の家族にとっては突然決断を迫られるような出来事であり,またレピシエント側にとっては長年待ち望んできたこと,という立場の違いも勉強になりました。レピシエント側にとっても,提供された後も検査の連続であり,また提供された臓器の機能への心配など悩みがつきない,ということも知りました。

話題提供者の石井先生は,現場で起こる「様々な立場からの声」に耳を傾ける中で,コーディネーターの「やりがい」とは一体何か,いったい誰のためにこの仕事をしているのだろうか,と思い悩むことが多かったそうです。

1時間ほどの話題提供の後,休憩をへて,フロアとの議論となりました。今回のテーマに対する宗教心理学からのアプローチの問題,臓器移植に対する各宗教の立場,「(家族の)遺体に対する感性」,死生観や「いのち」の問題,「トランスヒューマニズム」との関連,などが話題になり,活発な議論が行われました。

また,(往々にして突然の出来事の後に)家族が臓器移植への承諾の可否を決断しなければならないという緊急事態の現場では,宗教性や信仰といったものは影をひそめてしまうのではないか,というフロアからの意見に応答しつつ,司会の松島先生(東京大学)は,「有事における宗教性,平時における宗教性」という視点でも宗教心理学研究をすすめていく必要性を語ってくださいました。

フロアの議論を拝聴しつつふっと私の中に思い浮かんだのは,「じねん」(おのずから成りゆくもの)としての自然と,nature(対象化された自然)としての自然との相違,あるいは混淆,ということでした。端的に表現すれば,前者は「そうなるからしかたがない」世界観でしょうし,後者は「いや,なんとかしたい」世界観,ということでしょう。まかせる世界観と,まかせない世界観と申しますか…。
 
死やいのちも,身体(臓器)も,大きな括りでは「自然」の中に包含されると思いますが,その捉え方にはやはり,この「じねん」の面と「nature」の面とがあり,私たちはそれらの両方を含みながら生活しているのではないかと思います。ご本人の生前の意思,ご家族の(突然かつ緊急の)決断,あるいは,ドナー側・レピシエント側どちらにとってもその移植という事態の後の人生の歩みに,この「じねん」と「nature」という世界観が,どう影響を与えているのか,あるいは断絶してしまうのか,といったあたりを考えていくこともあるなぁ,と思いました。

久しぶりに「宗教心理学研究会」の会合に出席させていただき,とても嬉しく思いました。ふと思ったのすが,オンラインですと,いくら相手がこちらの方を見つめて話して下さっているように見えても,相手はあくまでも「レンズ」を見つめているのであって,私を見つめているわけではない……そのことに,今さらながら気づきました。よきにつけ悪しきにつけ(笑),小さな発見でした。
 (2021年06月26日記)


画像:アッシジの聖フランチェスコ聖堂